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薪さんと同身長が自慢です

基本、「薪さんと鈴木さんは精神的両想いだった」「薪さんと青木には、心身共に結ばれてほしい」という、偏った視点で書いております
創作も主に、薪さんが「青木と幸せになる未来」と、「鈴木さんと幸せだった過去」で構成されております

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清水先生もファンで、大きな影響を受けてらっしゃるという、萩尾望都先生。

多くの「秘密」ブロガーさんが、萩尾先生について、またこの本について、取り上げてらっしゃいますが。
先日、メロディ12月号レビューの記事で、私も萩尾先生のことに少し触れたことから、一度、改めて書いておこうと思いました。


私が萩尾作品に初めて触れたのは、幼稚園生の頃でした。
ひと回り年上の従姉妹が、「銀河鉄道999」や、「ポーの一族」を揃えていて、私は従姉妹の家に遊びに行く度に、それらを借りて読んでいました。

「ポーの一族」を最初に読んだ時は、時間軸を理解しておらず、従姉妹の家に通っては、何度も繰り返し読むうちに、これが、数百年に渡る時間を切り取って見せている物語だと知り、やがて、心の中に、自分で年表のような、エドガーの一生にまつわる大河のような映像が出来上がっておりました。

やがて、漫画好きの姉が、他の沢山の漫画と共に、萩尾作品も集めるようになり。
特に姉は、「11人いる!」「スター・レッド」「銀の三角」といったSF作品が好みに合ったようで。
一人暮らしを始めた姉の部屋に遊びに行っては、私もそれらを読んでいました。

でも、子供の私にとって、それらはまだ、この世に溢れている大量の漫画の一部に過ぎず、特に、萩尾先生の名が、心に刻まれることは、ありませんでした。

次に、萩尾先生の描かれる物に出会ったのは、映画雑誌でのことでした。

大学で、映画同好会に入ったところ、そのサークル室に、映画雑誌のバックナンバーが山と積まれておりました。
講義の空き時間を使っては、それを読みふけっていた私は、そこに、萩尾先生が描かれた映画レビュー漫画を見つけたのです。

私の大好きな映画がいくつも取り上げられ、しかもその視点が、映画を愛する心に満ちていて。
読んでいて、嬉しくて楽しくてなりませんでした。

久しぶりに、姉と萩尾漫画の話になった時。
「最近、ちょっとハードな漫画を描いてるんだよね」と姉から聞いて。
読んでみたら、確かになかなかキツイ・・・。
それが、「残酷な神が支配する」でした。

これは、雑誌連載で幾度か読んだだけで挫折。
最後まで読めば、その意図が分かる、救いのある結末になっていると聞きましたが・・。

ある時。
映画を通じて知り合い、やがて、本の趣味も感性も互いに良く似ていると分かり、手紙をやりとりしていた女性から、「トーマの心臓」についての、深い考察を伺いました。
「トーマ」は、それまできちんと通して読んだことが無く、私は何も、返せなかったのですが。

そのことを、私はずっと後悔していて、いつか「トーマ」を読まなければと、思っていました。
でも、なかなか、手に取ることが、出来ず。

でも、ふとしたきっかけで、やっと「トーマ」を手にし、読んで。
私は、その世界にはまり込みました。

ユーリが自覚する罪。
全てを赦していたトーマ。
それをユーリに気付かせるエーリクと、周囲の者達。

客観的な目で見れば、何と言っても魅力的なのは、オスカーですが。
「秘密」を読んでいる時に、青木の視点で薪さんを見ているように。
「トーマ」を読んでいる最中は、エーリクの視点でこの物語を追っている私は、ユーリにたまらなく、惹かれました。

メインのストーリーだけでなく。
キャラ一人一人の背景や心情といった、細やかな描写。
建物の影、戸外の木々、そこに浮かび上がる光といった、風景の美しさ。

多彩な物が描かれ、魅力を放ちつつ、かといって、メインのテーマがそこに埋もれず、ブレずに、しっかりと中心に立ち。

繰り返し、繰り返し読んで。

文庫で読んだ「トーマ」を、改めて「パーフェクト・セレクション」でも購入して。
各回の表紙や、「湖畔にて」も、堪能することが出来ました。

その後、「イグアナの娘」や、いくつかの短編等も読みましたが。
何と言っても「トーマ」が、私にとって、特別な位置にあります。

「トーマ」のオスカーの前日譚に当たる「訪問者」も名作ですが。
これは、「トーマ」とはまた別の世界の作品として、私は受け止めています。

「総特集 萩尾望都」を読んで。
いくつか、新たな発見がありました。

一つは、萩尾先生が、やはり、実際に親子の葛藤を経験してらしたこと。

「イグアナの娘」を始めとして、萩尾作品には、子供を受け入れられない、理解しない母親が多く登場していると感じます。
そういった色合いが薄い「トーマ」でさえ、ユーリの祖母は、自分の娘が選んだ男性を、その人生を、否定していた。

「訪問者」は、父と子の関係がメインになったお話ですが。
私は、読んでいて、父親との関係より、数少ない、母親とオスカーとのシーンの方が気になりました。

子猫が死んでいる場面に遭遇したことを話す子供に、「死んでるならしかたない」「お前だって鳥を撃つだろう」と言う母に、私は何とも、嫌な気持ちになったのです。
更には、両親がしばらく寝ているかもしれないからと、ストーブも付けずに慌ただしく出ようとする子供に、起きてきて「気がきかない」と文句を言う母。

こういった些細なエピソードの一つ一つに、これが本当に、実の母と子の関係なのだろうかと、疑問を抱かされたのです。
オスカーと父親、ここに描かれた、血が繋がっていない父と子の関係の方が、余程強い絆が存在するように感じました。

そして、この「総特集」の萩尾先生やそのご家族のインタビュー記事を読んで。
現実の親子関係が、様々な形で、作品に反映されているのだと、そう思いました。

だって、親が「人の子を預かっているという気持ちから、アシスタントの子達にも注意していた」って。
根本的に間違っているような・・。
漫画家さんとアシスタントさんの関係って、純粋にお仕事上の関係ですよね。
もちろん、そこには信頼関係とか、そういった物も加わってくると思いますが。

大人同士の仕事の関係を、例えて言うなら、小学生の子供を招いてお泊りさせて、「早く寝なさい」などと注意しているかのようなこの感覚・・。
いい年した娘を、一人の「大人」として見てないんでしょうね。
だから、その仕事相手も、「娘のお友達」みたいにしか見ることが出来ない。

インタビューの最後まで「娘には、いつか劇作家になってほしい」と言う親。
未だに、「漫画家」という職業を、認めていないことが伺えます。
信じられない・・・だって、他でもない、あの、萩尾先生ですよ。
少女漫画界の至宝、間違いなく、日本の少女漫画界の礎を築いた一人である、萩尾先生なのに・・・。

漫画のキャラについて語るのとは違い、実在の方をあれこれ言うのも失礼だと思うので、これ以上は控えますが・・とにかく、萩尾先生が、これではさぞご苦労なさったろうと、それはしみじみ分かりました。

そして・・この本を読んでの、もう一つの発見・・と言うより、衝撃と言うべきかもしれません。

それは、萩尾先生に、漫画研究家である大学教授の方がインタビューした記事。
ここに、「トーマ」についての話題が出てくるのですが。

「トーマ」を読んだ時、私は、ユーリが自分の「罪」だと思ったことを。
その程度のことを、それ程までの罪だと思う、ユーリの心が辛くてたまりませんでした。

その「罪」を背負った際の出来事について、このインタビュアーが、ある解釈を告げて、萩尾先生が、「あ、そうですね」「当たってると思います」と、あっさりと肯定なさった・・。

他の漫画ならともかく、特別な位置にある「トーマ」についてのこの記事に、私は、大きな衝撃を受けました。

この教授は、ホームページで既にその解釈を発表していたそうですし。
私自身、「そういうことでもあるのかな」と、微かに思っている部分もありましたし。

それに、重要なのは、ユーリ自身がその出来事をどう捉えたか、どんな思いを抱えたのか・・という部分であって、具体的にそこで何が起こったかということは、重要ではない・・と、自分に言い聞かせたのですが。

それでも、なかなか、このことを、受け入れることが出来なくて。

これが、他の人があーだこーだと言っているなら、全く気になりません。
そういう解釈もあるのだと、受け流したことでしょう。

けれど、他ならぬ、作者の萩尾先生がその解釈を肯定したことが、本当に衝撃でした。
この本を、買わなければ、読まなければ良かったとまで思いました・・・。

でもここで、私はまた、以前文通していた女性の言葉を、思い出すことになります。
彼女とは、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」の解釈で、食い違う部分があって。
彼女は、私の解釈に、自分が想像もしていなかったと、動揺していたのですが。

しばらく時間を置いてから、こんな結論をくれました。

「作者であるヘッセが、あなたの解釈のとおりに書いているのか、私の解釈のとおりに書いているのか、それは分からない。もしかしたら、そのどちらでもない、第三の意図のもとに書いたのかもしれない。でも、作者がどんな意図のもとに書いていたとしても、それが本となり、出版されて、誰かに読まれた時点で、作者の意図は、関係なくなるのではないか」

「作者が、どんな意図で書いていたにせよ、誰かに読まれたら、その物語は、読んだ『誰か』の物であり、その解釈に間違いなんて無い。だから、あなたの解釈も、私の解釈も、どちらも正解なのだと思う」と。

そんな彼女の言葉を思い出し、たとえ、作者である萩尾先生がどんな背景を込めて描いていたとしても、私の思う解釈で良いのだと、そう、気持ちを落ち着けることが出来ました。

いずれにせよ。
書かれた物が、読んだ人の物である限り、読んだ人の解釈を否定することは、作者でも、出来ない。
だから、萩尾先生は、否定なさらなかったのだと。
もしそれが、全く違う意見だったとしても、きっと肯定されただろうと、そんな風にも思いました。

さて。
この本に寄せられた、清水先生の寄稿漫画。

萩尾先生を「おびえさせた」というエピソードとか。
娘さんの言葉を、きれいとこわいを「間違って」と表現するところとか。
「金を払ってでも血を吸われとけ」という発言とか。

随所に表れるユーモアセンスに、笑わせていただきました。

そして、「お気を遣わせてしまって申し訳ありませんでした」「身がまえさせてしまって申し訳ありませんでした」「暴言を吐き申し訳ありませんでした」と、「申し訳ありませんでした」を繰り返した後に。
「ありがとうございました」「すごく幸せです。ありがとうございます」という結論。

何とも見事な構成で。
たった2ページのエッセイ漫画の中に詰め込まれた、センスと構成の上手さ。
さすが清水先生です。

そしてその中には、紛れも無く、萩尾先生に対する敬意や、萩尾作品に対する愛が溢れていて。

そしてまた、清水先生が、「今マンガを描けてすごく幸せです」と、おっしゃっていること。
「お金になるから」とか「他に選ぶ道が無くて仕方なく」ではなく、漫画を描くことそのものを「すごく幸せ」と思いながら、描いてらっしゃる。

そんな「幸せ」と思いながら描いている物を、私達読者は見ている、見ることが出来るのだと。
それは今、「秘密」を目にしている読者にとっても。

幸せなことであると、そう、思いました。





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コメント

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■ 鍵拍手コメ下さったCさま

○11/22に鍵拍手コメント下さったCさま

コメントありがとうございます。
いつもおいでいただき、本当にありがたく思いますm(_ _)m

やはりやはり、そうでしたか!
同じ思いを抱かれたようで、私も嬉しくなりました。

そうなんですよね・・「実はそうなの?えええ!?(@@)」みたいな・・。
今になってこんな解釈を突き付けられるとは、思いもよらず。
ええ、ショックでした。

確かに、思い返してよくよく考えてみると、ユーリがあれだけ悩んだのはそういうことだったのかとか、ユーリの告白の際にエーリクが「もうやめて。もういい」と言ったけれど、遮らなければもっと話すことがあったのだろうかとか・・ぐるぐる考えてしまいました。
他の方ならともかく、萩尾先生ご自身が肯定なさったことが・・衝撃で。

でも、おっしゃるとおり、先生がどんな思いでお描きになったとしても、それはそれとして、読者それぞれの解釈で合っているのだと、今はそう思います。

そうそう、『何で』傷ついたのか、原因は関係ない、それはオスカーにとってもトーマにとっても。
とても共感するお言葉で、ホッとする思いでした。
ありがとうございました。

>新しいSS楽しみに

きゃ~(><)ありがとうございます!
こんな拙い物に、もったいないお言葉を・・・。

でででも・・実は今週から来週にかけては、滞っているブログさん巡りをしようかとも考えておりまして・・。
しばらくお邪魔出来ていない「秘密」ブログさんが20箇所位あるもので・・。
しかも、リアルで学校行事等も色々と入っており・・SSに入れるかどうか・・。

ああでも、こんな風におっしゃっていただくと、益々書きたいなあ・・どうしよう・・。

■ 非公開コメ下さったMさま

○11/23に非公開コメント下さったMさま


コメントありがとうございます。

Mさんは、「11人いる!」から入られたのですね。
周囲に理解されなかった・・ああ、分かります。
小学3年生で、これを「すごい漫画」と思ったことが、すごいと思います。
私は「ポー」を読んでも、その偉大さが全く分かっておりませんでしたから(^^;)

ちなみに、小学校低学年の頃は、美内すずえ先生にハマっておりましたね。
「ガラスの仮面」だけでなく、短編のコミックも、片っ端から集めておりました。
高学年になったら、「エイリアン通り」を連載中だった成田美名子先生にハマり、10年以上「LaLa」を買い続けていたので、デビュー当時からの清水先生作品も、読んでいるんですね。

本気で目指していたものがそれって・・すごいですよねえ・・(ため息)

萩尾先生やご家族のインタビュー記事を読んでいると、決して互いの愛情が薄いわけではないと思うんです。
親としては、子供を大事に育てているという感覚だったのでしょうね。
しつけには厳しく、お小遣いも与え、それが将来の教育上良いものであるとなれば、本も買ってやり、芸術に触れさせもした。
当時としては、非常にハイカラというか、進んだご家庭でもあったようですし。
そういう環境だからこそ、萩尾先生の感性が磨かれたのかもしれませんし。
ただ、当時の大人の常識からしたら、「漫画」という世界は、きちんと地に足の付いた職業ではない、理解出来ない世界だったのでしょうね。
今では、日本の「少女漫画」界は、これ程に深い物になり、萩尾先生ご自身が、それを構築した一人でもあると言える中で・・未だに親だけは、それを納得出来ていないような。
記事を読んでいて、私個人としては、そんな印象を受けました。

竹宮恵子先生は、私はあまり読んでいないのですが、当時、萩尾先生と並んで紹介されることも多かったですよね。
竹宮恵子の漫画に出てくる男の子、それは素敵ですね☆(^^)

私の姉は理系の人なのですが、萩尾作品は、SFは好んでいましたが、「ポー」や「トーマ」は、どちらかというと文学系なせいか、それ程でもなかったようですので・・読む方の好みによるかとは思いますが・・。
「ポー」は、萩尾作品の原点とも言える物ですので、読んで損は無いかと。
「トーマ」は、クリスチャン的な物語と申しますか、「恩寵」がテーマにあるので・・読む人を選ぶかもしれません。

「11人いる!」に衝撃を受けた小学生と、ひらがなが読めるようになると同時に「ポーの一族」を読み漁った子供・・出会っていたら、どんな会話になったのでしょうね(笑)

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■ 非公開コメ下さったRさま

○12/29に非公開コメント下さったRさま

コメントありがとうございました。
メールにてお返事させていただきましたm(_ _)m

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