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かのん

Author:かのん
薪さんと同身長が自慢です

基本、「薪さんと鈴木さんは精神的両想いだった」「薪さんと青木には、心身共に結ばれてほしい」という、偏った視点で書いております
創作も主に、薪さんが「青木と幸せになる未来」と、「鈴木さんと幸せだった過去」で構成されております

コメ、拍手コメ共に、過去記事にも遠慮なく投稿いただけたらと思います
レスは「コメをいただいた翌々日までにお返しする」ことを自分に課しておりますが、諸事情により遅れる場合もございます
でも必ず書かせていただきますので
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前回、記事をUPしてから一週間が過ぎました。
ご心配下さった方、どうもありがとうございます。

以下は、その後の日常と、ちょっと暗めの、個人的心情を綴っております。


学校が再開したその日に、再び熱を出した娘。
翌日には、ほぼ熱が下がり、久しぶりに登校出来ることになった朝。

車で学校まで送る日はいつも、友達より遅れて登校することを嫌がり、私を急かす娘が、この日は、「少し遅くなってもいい」と言います。
学校へ行くのが嫌なのかと聞くと、そうではないとのこと。
こういう時は、なかなか胸の内を明かさない娘です。

学校へ向かう車の中で、ふと思い立ち、「・・もしかして、お家から、お母さんから、離れるのが、恐いの?」と尋ねると、娘はコクン・・と、うなずきます。

娘と仲のいいお友達は、地震後、余震が起こる度に必要以上に恐がるようになってしまった・・と、その子のお母さんから聞いていました。
それに比べて、うちの娘は、一人で地震に立ち会った割には、そんなこともなく元気だと思っていたのですが・・実はそうではなく、娘なりに、恐怖や不安を感じていたのでしょう。

車を停め、娘と共に教室まで赴き、私は、後ろのドアをノックし、「おはようございます」と言いながら開けました。

すると・・

「あ! ○○ちゃんだ!」
「○○ちゃん、来たー!」
少し遅かったせいで、他のお友達は皆、既に朝の支度を終え、席に着いていました。
そして、一斉に振り返り、笑顔で口々に声を掛けてくれたのです。

「○○ちゃんのお母さーん!」
と、手を振ってくれる子も居ます。

振り返って娘を見ると、娘はニッコリと笑って、自分から教室に入っていきました。
私はホッとして、学校を後にすることが出来ました。

この日、娘のクラスは、全員出席していました。
一学年につき2クラスか1クラスの小さな学校で、多くの子は幼稚園時代からのお付き合いで、皆、下の名前で呼び合う仲です。
皆の元気な笑顔を見られたこと、それだけで、心和みました。

後で聞いたところによると、学校の児童に、人的被害は無かったそうです。
まだ下校前だったことも幸いでしたし、先生の指導のもと、子供達が適切な動きをしたせいもあるのでしょう。

あの時、一人留守番していた娘を思い、廊下で怯えていた私の耳にも、担任の先生の「机の下にもぐれ!」「大丈夫だぞ!」「そこから出るなよ!」と繰り返す声が届いていました。
その大きな声は、遠くまで響いていましたから、クラスの子供達だけでなく、休み時間で、先生が職員室に行って不在だった、他のクラスの子供達にとっても、心強い物だったのではないかと思いました。

そして地震後、先生達は、休日返上で、校舎やグラウンドの点検を行い、建築専門家に診てもらって、安全を確認したとのこと。
それぞれにご自宅も大変だろうに、お仕事とは言え、ありがたいことだと思いました。

金曜日の卒業式は、体育館の壁が破損していて危ない為、全校生徒が集える広さの場所が他に無く、6年生のみ図工室に集まり、在校生はそれぞれの教室で、テレビのモニターを通して参加するものとなったそうです。

前例に無い卒業式となりましたが、被災地で、多くの学校の卒業生が離散してしまった話を聞く中、皆が揃って式を迎えられたことは、幸いだったと思います。

そしてこの日、娘が学校に行っている間、私は、またも食料品と介護用品を買って、父の施設を訪ねておりました。
出来ることなら毎日でも通いたいところですが、家の中も何かと忙しく、ガソリンも心元無い為、なかなか自由が利きません。

ホームセンターに行ったら、前回は、制限無く買えたオムツやパッドが、この日は、一人1点までの購入制限がありました。
何とかガソリンの都合を付けて、また来よう・・そう思いました。

スーパーは、トイレットペーパーや生理用品、電池やカップ麺といった棚はガランとしているものの、他の食品類は、物資がかなり戻ってきていて、必要な分は購入することが出来ました。

そして父の施設を訪ねたら、中央のホールには、ミネラルウォーターやオムツ類が山積みに。
ヘルパーさんの話によると、他の入居者の家族の提供もあり、必要な物資はほぼ揃ったので、もう大丈夫とのこと。

・・帰宅した途端、ドッ・・と、疲れが出ました。
命が救われた日々に感謝し、自分では、疲れも感じず過ごしていたつもりが。
父のところが大丈夫だと思った途端、気が緩んでしまったようです。

この日は、食事の支度をするも、自分は食欲も無く、頭の中がボー・・っとしたような感じのまま、一日が過ぎました。

そして週末。
久々に、夫と娘と3人で、必要品の買い物に行きました。
やはりあちこち棚に空間はあるものの、数日分の、必要な食料や消耗品は、買うことが出来ます。
以前は当たり前と思っていたその光景が・・戻ってきて嬉しい筈なのに、何故か、胸が苦しくなってしまいました。

私の様子がおかしいことに夫も気付き、「どうした?」と声を掛けてきましたが、私は、動悸が更に激しくなるばかりでした。

目の前には、友人や親類の姿が、浮かんでいました。
地震があってから、知人達と電話やメールで連絡を取り合ったのですが。
母方の親類には、家が壊れ、子供達は都会暮らしで、道路も通れず電車も不通で駆け付けることもままならず、年老いた一人暮らしで頼る人も無く、まだ断水が続く町で、避難所生活をしている人が居ました。

友人達にも、同じ県内に住みながら、断水が続き、物資もまだ行き渡らず、不自由な生活を訴えている人も居ます。
メールをしても返信の無い友人は、比較的被害の大きかった町に住み、実家は山の上にあり、どうなっているか分かりません。
福島の屋内待避地区に住む友人にも、連絡が付かない状態です。

そんな中で、私は今、お店の中で色とりどりの野菜や果物に囲まれ、ガソリンなど一部を除けば、お金を出せば必要な物が手に入る環境で、親子3人、平和に買い物をしている・・そんなことでいいのだろうかと。

笑顔で話している夫と娘の背を見て、嬉しい光景の筈なのに、胸が苦しくて、頭の中が、ボー・・っとなってしまうのです。

もし、実家の両親が健在だったら、自分達のライフラインが復旧したら、きっと、その後すぐに、避難所暮らしの親類の所へ、何とかガソリンの都合を付け、水や食料や必要品を手に入れ、駆け付けたことでしょう。
両親は、そんな人だったから。

でも私は、ガソリンが無いことを理由に、同じ県内に住む親類の手助けさえしようとしない。
もちろん、両親と私では、親類との親しさの度合いも全く違いますが。

それに、実家や冠婚葬祭の場などでは顔を合わせていても、その親類の家の場所は知りません。
友人宅も、外で会うことが多かった為、正確な場所は覚えていません。
被害が大きいところ程、道路が破壊されていて、行くには危険がありますし、被災地にむやみに訪ねていったところで、かえって迷惑になることもあります。 

だから、いいんだ・・そう思いつつも。
本当は、住所を知っているのだから、カーナビなど、本気になれば、探す手段はある筈なのに、それをせず、あれこれ理由を付けて何もしないのは、自分の生活の為に、燃料を残しておきたい、自分の身を守りたい、何より、親類や友人より、守りたい家族が居るのだから、今はそちらが優先という、結局、自分さえ良ければいいという考えなのではないだろうか

世の中には、自分も被災しながら、人の為に尽くしている人達が、沢山居るのに、私は、何をしているのだろう・・・。

同じ県内や隣県なのに、まだまだ不自由な生活を強いられている親類や友人達を、心配だと思いながらも、私は何も出来ない・・何も、しない。
そのことが胸を圧迫して、何だか、おかしくなってしまったのです。

幸いなことに、夫側の親類には、避難所暮らしをする程の被害を受けた家も、ライフラインが4日以上途絶えたところも無いらしく、皆、今は、ガソリンの不足に悩む程度のようでした。

「あなたの親戚は、皆、大丈夫なのよね?」夫に確認したら、
「知らねえ。聞きもしねえし」とのこと。

夫の場合は、両親が健在なので、親類に何か支援が必要であれば、それは両親が動くことであり、夫は、
「オレは、自分のことで精一杯だ」と言います。

確かに。

普段、電車通勤の夫は、地震による電車の不通とガソリン不足で、通勤も困難な状態で、交替で職場の誰かの車に乗り合いして仕事に行っています。
自分もガソリンを手に入れねばと、ガソリンスタンドに2時間並んで20リッターだけ給油して、翌日は自分が同僚の家を回って車に乗せ、通勤したりもして。

その為に、以前より1時間早く家を出ているし、同僚や上司との車中は、気も使うとこぼしています。
職場に着けば、電圧が弱くて、システムが作動しないこともあり、仕事が遅々として進まないとのこと。
そして帰宅すれば、家を修理せねば、家電を買い替えねばといったことも、夫の頭を悩ませます。

そういった、仕事のことや経済的なこと、それらを夫が背負ってくれているからこそ、私は、のん気に他人のことなんか、気にしていられるのかもしれません。

様々なことに、頭を悩ませる夫。
余震の度に、私に抱きつく娘。
不安が多々あるであろう、同居の年寄り達。
施設で他人に囲まれて過ごす、父。

最も身近で大切な彼らの為に、私は、明るく元気な太陽であらねばなりません。
妻として、母として、娘として・・家を守り、笑顔で家族を引っ張る存在でありたいと思います。

・・なのに、家族以外の人を思い、何も出来ない自分、無事だった自分に罪悪感を覚え、目の前のことに集中出来ず、心がここにあらずといった状態になってしまったのです。

父の施設からかかってきた電話も、それに追い討ちを掛けました。
ようやく、物資不足が落ち着き、大丈夫だと聞いて安堵していたのですが。

「地震の直接の被害は少なくて済みましたが。原発事故が、どうなるか分かりません。ここは大丈夫だとは思いますが、もし、最悪の事態となって、ここも避難命令が出たら、施設を閉鎖することになりますので、その際は、お父様をお引き受け下さいますよう、お心積もりしておいて下さい」

そう言われました。
もちろん、それは当然のことだと思います。
そんな事態にまでなったら、それは、父のことを共に連れて行くのは、家族として当然のことです。

でも・・もし本当にそうなったら。
左半身も足も動かず、わずかに右手が動くだけの父を。
またいつ、容態が急変するか分からない病人を。
私が、責任持ってお世話することが出来るのだろうか・・。

もちろん、私一人の問題ではありません。
その際は、夫も娘も、姉も義兄も、協力してくれるでしょう。
でもそれを思ったら、不安で不安で・・・・

夫と娘と私、親子3人だけであれば、どこに行っても、どんな状況になっても、何とか生きていける気がします。
でも、そこに、同居の年寄り3人や、身体の動かない実父、犬や猫まで加わったら、どうなってしまうのだろう・・・。
そんなことを考えたら、不安に苛まされ、目まいと吐き気に襲われました。

そしてまた。
そんな、自分を育ててくれた実の父のことを、負担に思う自分に、とてつもなく嫌気が差してしまって・・。

毎日、何度も何度も襲ってくる余震に、その都度、火元を消し、出入り口を確保し、家族の安否を確認する・・その繰り返しにも、疲れてしまって・・・。

今朝も、娘と朝食を取り、学校に送る為に家を出る、ほんの30分位の間に、震度4や3の地震が、4回もありました。
もう、食事をするどころではありません。
目の前に、暖かい食事があるという、恵まれた環境にありながら、その食事が、ノドを通らないのです。

常にガソリンの残量を気にして、自由に動けないことにも、疲れてきました。

でも、自分は、自分も家族も命が助かったし、家もある。
ライフラインも復旧したこの地で、人並みに生活出来るようになった。

遥かに大変な人が大勢居るのに、疲れただなんて、贅沢だ・・。
そんな自分に、益々情けなくなって・・・。

テレビの震災関連のニュースを見るのも、見ると胸が苦しくなって、ものすごく疲れてしまいます。
なので、週末は、テレビの画面を見ないようにしておりました。
それでも、母屋に行けば家族が見ているので、音声はどうしても入ってきてしまい、そこに心が捉われてしまいます。

これもまた・・自分が被災から落ち着いたら、もっと酷い被災地から目をそらすのかと、現地の方々に対して申し訳ないことではないかと思ったりもして・・。

週末の3日間は。

自分の無力さと、実は無力ではなく、何もしようとしないだけではないかという罪悪感に捉われ。
そんなことに捉われ、心がうつろになって、家族に迷惑を掛けている自分が情けなく。
先のことが不安でたまらず、そんな自分に嫌気が差し。
余震に疲れ・・その程度のことで疲れている自分を、贅沢だと思い。
震災のニュースから離れたく思い、そんな自分の身勝手さを感じ。

自己嫌悪のスパイラルに陥り、悶々とした日々でした。

夫は。
「オレ達だって、被災者なんだ。もっと大変な被災者の人達の為に、自分達は、知人に迷惑を掛けず、公的な支援も受けず、自分達の力で元の生活を取り戻すこと・・『よそに迷惑を掛けない』ということも、オレ達に出来る『支援』なんじゃないのか?」

私が悩んでいる姿を見て、そう、言いました。
夫の言葉を反芻し、それはつまり「自分さえ元の生活に戻ればいい」ということではないのだろうか・・と、若干の疑問が残りつつも、少し、心が楽になりました。

そしてまた・・私に何が出来るのかと考えた時。
結局は、「家族」を守る為に努力することしか、出来ない。

再び大きな地震が起きるのではないか・・余震の度に、そんな思いがよぎり、また、放射能による汚染や、父のことも不安だけれど。
この先、どうなるかなんて何も分からないのだし、先のことを今から考えるのはやめよう。

何かやろうとしても、自分は所詮非力な存在なのだから、出来る範囲のことを、今は精一杯やるしかないと・・自分に言い聞かせました。

それでも、まだ自分達より不自由を強いられている、または、どうなっているか所在が分からない知人達のことが、やはり、頭を離れません。

私がもし・・相手の立場だったら、何が嬉しいだろうと、そう考えた時。

地震の後、「秘密」ファンの皆様から、お言葉をいただいたこと、遠くに住む友人達から電話やメールをもらったこと・・それが、本当に励みになりました。
自分は一人ではない・・多くの人が見守り、心に掛けてくれている・・そのことが力になりました

だから私も、心配な相手には、言葉を送ろう。
連絡が取れない相手にも、何らかの形で、メッセージを送り続けよう、そう思いました。
場合によっては、電話したところで、かえって迷惑になるかもしれません。
だから・・相手の立場によって、よく考えて、適切な形を取りながら。

今朝になって、ネットでニュースをチェックして(テレビのニュースと違い、心構え無く画像が目に入ってくることは無い為、比較的安心して見られるので)、震災から一週間程立つと、精神的ストレスが現れてくることがあるという記事を、読みました。

自分の心の有りようを、自分で持て余しておりましたが。
よくあることだと知ったことで、また少し、楽になりました。

きっと、自分でも気付かなかった震災のショックが、今になって、様々な形で、現れてきたのだと思います。

自分は、非力で、身勝手な人間だという罪悪感は消えないけれど。
一つ、山を越えた感があります。

いただいたコメントやメールを、改めて読んだり。
「秘密」ブロガーさんが描かれた薪さん絵を眺めたり。
娘や、猫や、犬の顔を見たり。

そんなことで、今は、癒しを得ています。



※誠に勝手ながら、少し落ち着くまで、コメントや拍手コメントを受け付けない設定にさせていただきます。申し訳ございませんm(_ _)m





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